心の変調と回復、その9
4人体制は、通常シフトより1人分多くなるため、余裕ができる。
昨日が2人体制で、時間不足のため、やりきれなかった作業を処理することが、今回の職場復帰の初日の課題となった。
1、棚の拭きあげ掃除
2、冷蔵庫の内部掃除が主な
もの。
私は同期生の女性スタッフの指示に従った。1番目の作業はご飯釜置き場周辺の掃除 、散らかっているご飯つぶの拭き取り、床の拭きあげと、ご飯つぶの拭き取りなど、作業はすぐに終わった。
この作業、私やバイトの学生たちが、普段は見逃してる場所の掃除であった。同期生の同僚女性は仕事に厳しく、完璧な掃除のスタイルを貫いてきたことが今になって理解できた。
自分で、状況判断するのではなく、人に指示されて仕事するのが、とても楽な気持に感じた、同期の女性スタッフには、その状況判断が的確に出来、指示出来る人なのだ。
いよいよ2番目は、惣菜パッケージを収納している棚のホコリ汚れを拭き取る。
外気の流入、人の出入りも激しい厨房内は結構、ホコリの堆積が発生する。
脚立を用意し、3段ある棚の1番上から水を含ませ固く絞ったカウンタークロスを使用して拭きあげ掃除をはじめる。
惣菜食品を収納するパケージを移動しながらの拭きあげ作業、黒いホコリ汚れがカウンタークロスに付着する、
週間1日の拭きとりが基本ルールだが、棚には結構な汚れがついていた。
上から2段目の棚、3段目の最下段の棚まで、拭き終わった。
「ここで、厨房裏話」
スーパーマーケットの厨房では、衛生管理はとても重要なポイント、フライや天ぷらなどの揚げ物作り、それも大量に作る。その作業の際、油は飛散し床は汚れる。食材のかすもシンクから流れ落ち排水溝に溜まる。
油専用洗剤による床掃除の重要性、排水用側溝内部の食品かすの洗浄も、
これが、厨房バックヤードの毎日の必須ポイント
もとにもどり、
6時半の店頭にある、買い物かごのアルコール消毒の前には、まだ、まだ時間があるので、惣菜食品を運搬するためのパイレッシュ「長方形35*80㎝くらいの樹脂製トレー」のアルコールによる拭きあげ作業、
揚物かすなどが付着しているのを、アルコールスプレーを吹き付け、カウンタークロスで拭き取る。
パイレッシュは20枚くらいあったが、短時間で終わった。
そろそろ、6時半になるので、店頭に向かい買い物かごのアルコール消毒作業を始める。
店内、レジの先にあるカウンター横、使い終わった買い物かごを回収し、手で触れたハンドル部と、かご上部の同じく手で触れる縁部分をアルコールで消毒する。
買い物かごは、「消毒済」、「使用済」は置き場が区別されている。
店内規定では、30分間はこの作業を実施するようになっている。
慣れないながらも、なんとか買い物かご消毒作業をこなした。
お客様が出入りする、出入り口付近での作業だったが、私の口から「いらっしゃいませ!」「ありがとうございます!」の言葉を発しながらの拭きあげ作業、
コロナ渦中、スーパーマーケットの衛生管理上の必要な作業、お店のイメージアップにも繋がる、大事な作業である。
指示された、仕事をしながら、自分が今、店舗スタッフの一人として働いていることを感じる。
1ヶ月もの間、出社拒否による心の変調をきたし、休んでいたことが、現実の事ではないような気がしてきた。
午後7時になることを、店内の時計で確認してから、もとの厨房の作業現場に戻ることにした。
いつのまにか、職場復帰の1時間が過ぎた、あと2時間頑張ればよいのだ。
いざ、厨房へ
心の変調と回表、その8
職場復帰の初日、7/2金曜日、雨、私としては、苦手なコンディション
しかし、私の復帰が掛かった大事な職場復帰の1日目をいかに、こなすか、耐えられるか、まずは傘をたたんで入店する。
見切担当の大学生に顔をあわせて、挨拶し、お詫びの言葉を伝えた。
その後、作業開始前に私服のまま職場を覗いてみると、すでに
洗い物担当の尊敬すべき同期生が作業開始している。同期生に、挨拶とお詫びを伝えた。
事務所に上がり着替えを済ませ、ユニホームで現場に降りてきたところ、
7/1木曜日のワークスケジュール表「業務分担表」にて私の名前あり、出勤簿のシフト表には記載なしという不具合あり、との連絡を受けた。よって本来3人体制を2人でこなしたと聞き、返す言葉もなかった。
これは、マネージャーの単純なケアレスミス、日にち間違い、シフト表記載では私の勤務は7/2金曜日を希望していたからだ。
マネージャーにも、日常の業務で忙しいなか、私のことで余計な仕事を増やしていたのだ、
私のいない、職場の状況は、人手不足で一杯一杯であったことが、想像できる。
日頃、世話になっていた、同期生さんには本当に申し訳ない気持ちになった。
私が休んでいる間にも、職場は確実に稼動していた、それも人員が不足しているのにも、かかわらず。
現実には人員増加は、すぐには出来ないものである
現実の現場は、私が鬱々ともがいてる間にも、当たり前のように、毎日しっかりと確実に動いているのが想像できた。
いよいよ、3時間の職場復帰、初日の仕事が4人体制でスタートした。
心の変調と回復、その7
心療内科の診察時間は日に日に短くなる。15分も掛からなかった。
7/1木曜日の雨模様の天気、心療内科に10分早く着いたが、予約時間よりも早く、番号札6番がすぐに呼ばれた。雨天でキャンセルも発生したのかと思う。
先生と職場復帰の前日の難しさを説明されて、私の心臓ドキドキは当たり前、睡眠をしっかりとるためには、薬を正しく服用するように指示された。
その言いつけを守り、寝る前にひと粒の非常に小さい錠剤を水で飲んだ。
夜、床について、しばらくは眠気を催すことはなかったが、いつのまにか眠りに落ち、翌日朝6時半まで、グッスリと眠ることができた。トイレに起きたとき、少し頭にどんより感が残ったが、不快感はなかった。
さすがに、薬の効能には、驚かされた。これで本日7/2金曜日の職場復帰の体調は問題なく整ったと思った。
食事は朝はバナナと牛乳、いつものパターン、緊張のせいか食欲はそれほど感じない。
出勤の3時間前、心療内科の先生が処方した薬1/2錠をバナナと水を食したあとで服用した。
そのあと、しっかりと妻の作った、お稲荷さん4個、サラダ、らっきょうなどで、腹を膨らませて、仕事に備えた。
しばらくすると、薬の効能によるものか、眠気をもようしてきた。
仕事まで三時間くらいは時間があるので、心配はしなかった。
いよいよ、職場復帰の時間が迫ってきた。傘、ミネラルウォーター、書類&クリアファイルを手さげ袋にいれ。職場の皆に渡す菓子折の袋も忘れずに、いざ職場にむかう。
心の変調、その6_2
振り返ってみると、仕事への嫌悪感、自信喪失、能力不足、コンプレックス さらに自分自身の悪い生活習慣が原因であることが、思い当たった。
今まで、あまり穴を明けずにシフト勤務を守ってこれたのは、自分なりの責任感が働いていたからだと思う。
私の睡眠時間帯が、深夜の1時半~5時半くらいで、4~5時間、年齢的にもだんだん睡眠時間は短くなるようである。ここのところ耳鳴りも感じはじめて不快な気持ちになった。
そんな状態なのに、寝入り前、習慣的に私はスマホでネット記事を読み始める、そして眠りに入る。また夜中のトイレタイム後に、眠りに入る。
そして、朝の5時半~6時、目覚めまたスマホ。瞬く間に時間が過ぎていく。すでに陽は登り、しかし目は疲れて、うつらうつらしてくる。
当然の結果として、眼の疲労は蓄積されていた。ネット情報には、次から次へと、たいして生活には必要ない内容なのに、どんどん読み進まされる中毒性がある。「スマホ中毒症」
午前10時くらいに起きれば良い方で、日によっては昼前まで寝床で、ダラダラとしていることもあった。
早寝、早起きではなく、遅寝、遅起、非常に不健康な習慣だった。
体調が悪くなるのは、当然の結果で、散歩でもしていたほうが、よっぽどましである。。
仕事の始業時刻が夕方5時半、通勤時間は徒歩5分ほどという恵まれた環境なので、仕事に向かうのには楽なはずだった。仕事内容は結構ハードな部分もあるが。
しかし
6/2水曜日、初めて出社拒否の症状が出た日、洗面台で顔を洗って、顔を上げたとき、クラクラっとめまいがあり、強く体調に不安を感じた。
今にして考えてみれば、スマホ検索でダラダラ過ごして、目は疲れ、頭もボーっとして、体も硬くなり、体調がわるくなるのは当然のこと。
そのあと、台所で食事の準備していると、胸の動悸がバクバクとしてきた。
この時点で、今日仕事するのは無理だな、と思っていた。集中力が必要な油ろ過作業は無理だ、仕事を休むと決めていた。
ここまで、振り返ってみると、悪い生活習慣、スマホの長時間検索の疲労、仕事への嫌悪感、さらに運動不足の体調不良、自己管理意識の欠落。
それが、仕事上のストレス「人員不足の労働負荷増と立ち入り衛生監査の脅迫的な緊張感」に積み重なって、自分自身の悪い状態を導いたのだと思った。
その他に、コロナ渦中、身に迫る感染恐怖も感じていたこと、ワクチン接種はしていない。
さらに、自分自身、年老いて「70才間近」、将来にむかい漠然とした不安も感じていた。それから、逃れるためのスマホ依存、中毒だったのかもしれない。
根っこのところは、仕事が好きではなかった、嫌だったと思う。
心の変調になるまでを振り返ってみると、
自分に反省すべき点が、いくつも見つかった。今回の心の変調は、半分以上は自分で招いたこと、自己責任でもあった。
あとは、
6/30 ワクチン接種
7/1 心療内科4回目
いよいよ
7/2 職場復帰の1日目
どうなるのか。
心の変調、その5_2
心が変調に至るまでの経緯は、ひとまず置いておき、コロナウィルス感染予防のワクチン接種の日がやってきた。
6/30水曜日は、私のかかりつけ
医のクリニックでワクチン接種を受けた。
問診票、接種券、保険証を持参し、主治医の簡単な診察のあと、別室に移動。
私は看護師から諸注意を説明されて、さらに深呼吸をするように促された、少しリラックスしたあと、接種にかかった。
痛みもなく、あっという間にワクチン接種は終了。待合室でしばらく待機しているように指示されてソファーに腰かけた。
20分ほど静かにたたずみ、その後で看護師から声がかかり、私は何も副反応の症状はないので、受付へ向かう。
次回の2回目のワクチン接種の7/21水曜日が記入された書面を受取り、さらに接種券、注意書書面も一緒にして手渡されクリニックを後にした。所要時間30分だった。
ワクチン接種1回目が無事終了、ひとまず安心な心持ちになりました。使用されたのはファイザー社のもの。
翌日、ワクチン接種の副反応が出た。
普段は、36.2℃の体温が36.9℃まで上がり、頭や顔がカッカとして熱さを感じた。
しばらくすると、36.5℃に下がったりして、発熱には振幅があり、今日7/1木曜日の心療内科はキャンセルしようと思ったが、体調が3時頃には落ち着いてきたので、徒歩で出掛けることにした。梅雨くもりで、雨は止んでいた。
心の変調、その4
4回目の心療内科クリニックが、あと5日後7/1、その翌日7/2が職場復帰の初日となる。
6/26土曜日の自由な時間を使って、私自身の心の変調、適応障害に至るまでの経緯を振り返りまとめてみた。
5/5~8あたりに、職場内の同僚が骨折して、上司からシフト変更「勤務日追加」の依頼があった。
実際には、私の希望で勤務日の入れ替えで済ますことにしてもらった。
どうしても、仕事の負担を重くされるのは、現在の体調では、耐えられなかったので。
この頃から、すでに適応障害が始まっていたと考える。
さらに、上司のさらに上の課長からは、店内衛生監査が近々あるので、普段掃除が行き届かない部分の清掃をしておくように、指示があった。
しかし、そこは、前段階シフト担当者との連絡を密にしておかないと、実現できない個所の清掃作業であった。
管理職からの指示、命令には従うのは当然のルールではあったが、現実問題として考えると、自分だけでは困難な内容に思われた。
結果としては、直属の上司が特別な道具を使用して掃除を完了させてくれた。
ストレスになったのは、自分の力量では、解決できない課題に対して、どう対応すれば良いのか、悩み悶々としていたことだった。
ここまで、2つの課題がかさなっていたこと。ひとつ目は同僚の骨折による欠員、労働負荷の増大が予測されること。
二つ目は、衛生監査に備えて、問題箇所を掃除しておくように指示されたが、その為の道具が無く、その対応に自分自身で苦しんでいたこと。
年齢的にも、体力の低下を自覚する現在、労働負荷の増加は簡単には受け入れられない。
職場の立ち入り衛生監査への対応、緊張感が醸し出される案件。
以上の2つの課題が、体調不良の私にとっては、ストレス発症のきっかけになり、心の変調、「適応障害」をきたしたとの結論に至った。
自己分析はさらに続いた。
心の変調、その3
2回目までの、考えをまとめるメモ書き作業をせずに、クリニックにむかうことなった。
現実問題として、1ヶ月も仕事を休んだ自分が、何事もなかったような顔をして、職場に戻ることが、本当にできるのかが、確信が持てなかったからである。
まとまらないまま、時間だけは進んで心療内科のカウンセリングに行く時間になった。
今のありのままの心を先生にぶつけてみるしかない、と心をかためて出掛けることにした。
予約の10分前に、到着して受け付け番号は8番、心療内科では名前は呼ばれずに、受付け、精算まで、全ての行程が受け付番号で処理される。
私の順番が来て、先生との診察がはじまった。今の状況と心の状態を聞かれた。
職場の上司と、7月から週1日のシフトは7/2金曜日、7/9、7/16とし、時間は18時00~21時00を希望して、承認されたこと。
さらに7/2の職場復帰のことが、不安で気持ちが整理できずにいること。
先生は、「職場復帰の1日目は誰でもハードルは高いものよ」と答えてくれた。
これは、前回診察の時も言われたことだが、このハードルを飛び越えるためには、薬の力も必要と判断して、
症状が出たときのために、「漢方薬の頓服薬」を処方してくれた。服用すると心が静まり落ち着くとのこと。10回分。
これで、出勤前の最悪の状態は回避できそうなので安心だ。
次回も7/1木曜日に診察の予約をした。精算を済ませ、薬局で薬を受けとって帰ることにした。
あと、約1週間で職場復帰の日がやってくる。ドキドキして待つしかない。