ギターと俺

ベンチャーズとジェフベックが大好きです。

心の変調、その2

三者面談の結果ですが、店長からのアドバイスでは、仕事を辞めるのも、続けるのも本人が決断すること。

但し、仕事を続けることは人にとって、大切なこと。
いま、仕事を離れてしまうことは、私のこれからの人生にとって、悪い影響を与えることも考えられるよ、ともアドバイスされた。
週1日でもよいから、働く気持ちを持ち続けること。
働く時間も5時間から3時間に減らしても良いから仕事を続けてみないか、と提案された。

面談をしてみて、そこまで譲歩してくれるのか、というきもちと、自分は職場に戻れるのかもしれないと、本の少し光が見えたような気がした。後に自分の心はそんな単純なものではなかったことがわかるのですが。

6/10に初めてメンタルクリニックの先生と話すうちに、自分の心の状態が少し掴めるようになった。
適応障害以前に、うつ病を発症していたのではないか、との再診断結果であった。

思えば、寝床で天井を見て、夕方に始まる仕事への不安、怖じ気づいたり、震えがはしったり、まさに適応障害&鬱症状である。
ただ、発症が06月02日、職場復帰06月21日は、あまりに日にちが少なくて、適応障害の回復には時間的な不足が問題となる。
これは、心療内科の先生の言葉である。
具体的な医師のアドバイスで心が少し整理されて、職場のマネージャーにこの状況を伝える必要があったのだが、整理してどう伝えるかという作業を特にしないまま日が過ぎていった。

6/12、散歩の途中でマネージャーから電話が入った!
自分では落ち着いて状況を話しをしたつもりだった。
マネージャーも私の話をよく聞いてくれて「では7月から週に一度、三時間にしましょうか。何曜日にするかはまた連絡ください」と言われ元気よく返事をして、ほっとした。

その日、妻にもその事を伝えて妻も喜んでくれたのだが、2、3日するとまた鬱々とした気分になり前の状態に戻ったように落ち込んでしまった。
理由は、自分の心が整理されてないのにいきなり上司から連絡が来て、優等生的な答えをしてしまったことだ。
職場の仲間に迷惑をかけているのに、どの面下げて職場に戻れるというのだ。ギリギリの人数でやってる職場で自分がいなくなってますます大変なシフトでやっている仲間たち、モラハラパワハラもない仲間たちに迷惑をかけている自分が本当に戻れるのか、戻ってもいいのかと。

2回目の心療内科の医師との面談で今の状況を正直に話した。
医師の話は今回も私を勇気づけてくれた。

「職場に戻るときはみんな恐くて震えながら戻るのよ。上司の言ってくれたそのシフトで一度やってみたら、どうかしら。でも無理をすると再発するから無理は禁物」

その後、医師のアドバイス、自分の気持ち、店長や上司の話を反芻し、少しずつ「どうなるかはわからないが仕事を再開したら自分がどうなるか確認したい」と思うようになってきた。
時間がどんな心の治療に役立つのか、とりあえずやってみようと思えるようになってきた。

6/18に私が会社に伝言した留守録の返信が、翌日の6/19に上司からあった。
1ヶ月仕事を休んで、休養明けの職場復帰は、緊張感を、さらに不安な気持ちも伴う。

上司に自分のことを伝え、
毎週木曜日に心療内科に通っていること、翌日の金曜日を出勤日でに設定したい、時間帯は6時から9時までの三時間でまずは1ヶ月やってみることになった。

出勤日を金曜日にしたのは妻が仕事休みで、私の出勤時に背中を押してもらえるから、となんとも他力本願な私である。頼れるものは何でも頼りたい。

上司は、明るい声で快く承諾してくれ、「よろしくお願いします」
との言葉を返してくれた。

私も「よろしくお願いします」と挨拶を返した。少し、職場復帰の不安が和らいだ気持ちになった。
後は、職場の同僚に1ヶ月仕事を休んで迷惑を描けたことのお詫びの挨拶をしなければ、の気持ちが心の底から募ってきたのでした。

さて、6/24日木曜日は、3回目の心療内科メンタルクリニック診察日、どんな話しになるのか。

心の変調「適応障害」

初めて、心療内科を受診した。年末で70才を迎えるフレットレス親父です。

久しぶりの記事です。1年以上ご無沙汰してました。しかし、冒頭に書きましたように、心療内科を受診したのでした。

スーパーマーケットの夜アルバイト、夕方から5時間、週3日くらいでバックヤードの仕事をしてます。

3年目ですが、寄る年波とiT音痴、先端分野に遅れる、パソコン苦手が原因の一つです。

さらに、これから夏に向かい、過酷な職場環境、揚げ物油の暑い作業場の嫌悪感、恐怖も感じている。

一緒に働くチームのメンバーは、大学生、専門学校生など、ほとんど年齢が若い男性で、あとは60代半ばの女性が、私の先生役として、凛として存在してます。

大学生は、いつかは卒業して就職し、職場を去っていくものです。

しかし、私はメンバーの入れ替わり、環境の変化に付いていけないため、ストレスが貯まるいっぽうでした。

一応、シフトを組まれて、2人とか3人とかのチームプレーで、作業を、進行します。

突発的な欠勤が発生すると現場は、もう大変なことになります。
私は、トラブル発生すると、極度に緊張して、普通の冷静な判断が出来なくなるのです。

柔軟な対応が出来ないのは、私の性格上、そして能力面の不足も原因となるのでしょう。

新人の教育も苦手で、ストレス、心理的に負担が重く感じます。

まったく、心の余裕がなくなってしまいます。

症状が発症したり、進行したり
した時期を思い出してみると、出勤直前は、異常な緊張感に心も体も襲われていました。

自分で何とか、抑えることができるうちは、よかったのですが、
押さえきれなくなると、めまい、動悸が激しくなり仕事に向かえなくなりました。

5/30、この日心のなかは、仕事への恐怖心、出社拒否で充満しました。しかし、自分の心に何とか言い聞かせ、なだめて、出社に漕ぎ着けることが出来ました。

でも6/2、この日朝から悶々とした状況で体と心が出社拒否の状態になってしまい、出社の2時間前に会社に休みの連絡を入れることになったのです。
どうしても、会社に行くことができなかったのです。

この状況で、店長と直属の上司と三人で面談することになりました。

ピアノとギターのオンラインコラボ

先日、自粛で暇な娘からテレビ電話が妻のスマホにかかってきました。

私と妻が「Tsunami桑田佳祐の曲を合奏、ピアノは妻、私はエレキギターで動画収録を終えて、ラインで送信した後のことです。
実はなぜTsunamiを弾いたかというと孫がその曲をピアノで練習してると聞いたからです。

妻との合奏はなん十年ぶりだったことか。これも非常事態が招いた
奇跡だったのかと。妻とのピアノとギターのセッションはとても楽しかったのでした。

外はどしゃ降りの雨。外出はしたくありません。

私と妻のTsunami動画を見て、娘が、孫とのコラボをライン動画でできるね、と持ちかけてくれました。私はギター、孫はピアノ。妻は本来のKey=Dでは弾けないのでスマホを持つ担当で。

スマホの画像と音質での、ピアノとギターのコラボレーションは、メロディーは孫のピアノ、伴奏はエレキギターテレキャス&フェンダーの10ワットアンプ」の私というオンラインセッションで始り、クオリティーは生音と比べて少し劣りますが、相手の楽器の音はしっかり聞き取ることが出来ました。

Tsunami」のメロディーラインの少し短長っぽいBメロも、譜面通りに、
桑田佳祐特有のさびの、アドリブっぽい、こぶしのフレーズも譜面に書かれていて、

それを真剣に譜面を睨みながら、演奏に集中する、5歳の孫の姿には驚かされました。

離れて暮らす2つのファミリーが「Tsunami」という曲を演奏するという、ささやかなイベントで心のテンションが上がりました。

兄のピアノ演奏中、妹2歳の女の子が、時おり私に「おじいちゃん!」と、画面に映る、私の姿に、声を掛けてくれます。

自分も参加したいのでしょうか?
爺さんの私としては、嬉しいかぎりです。普段は妻に較べて、存在感が薄い私が、その存在を認められてます。

このオンラインセッションのイベントは、コロナウィルスによる心のストレスや不安、抑圧感から、少しの間でも忘れさせてくれたこと、

初めて気づかされた音楽の持つ力を感じました。

コロナ終息の時には、孫と私が顔を会わせて、隣り合ってピアノとギターでセッションできることを楽しみに、腕を磨いておきたいと思ってます。

今は、ギターは一休み、ピアノで左手伴奏をオリジナルの「Key=D」で何とか弾けるように、私も孫に負けないように
取り組んでます。

久々の投稿です。
ふれっとれすおやじ

懐かしの洋楽ポッブス

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仕事休みの日、寝床に入って、懐かしのCDを聞いていると、心に懐しさが甦る。

しかし、人生思えば遠くに来たものだ!と、時間の流れを感じます。

妻も私も、共有した時間軸。

テレビは新型コロナウィルス、いよいよ首都圏での感染拡散になり、そして外出自粛、イベント自粛。

感染から発症の時間差の関係で、日を追うごとに発症の人数は増加していく。

コロナウィルス問題の見通し、先は、まだまだ見えず、終息までには時間が、相当な期間を必要とする状況となっている。

まさか、今日まで世界が、こんな事態になるとは、誰が予想出来たでしょうか。

冷静さも、平常心も、それを持ち続けることは、難しいことですね。

人間が本来持つ忍耐力に、掛かっているのでしょうか。

問題が、世界規模であり、そして日本の若者も、やっと危機感を察知し始めたようです。

自分の心の状態を努めて、穏やかに保つこと、そして慎重な行動をとること、心静かに日々を過ごすこと。

自分の信じる神に祈ることも忘れてはいけません。

さて、話が少し音楽のことになります。

私の場合は、ギターに触れて好きなメロディーをつま弾くと、心が開放されて楽になります。

しかし現実の緊張、緊迫感と感染の恐怖心に対しては、人間は長時間さらされると神経が持ちません。

そこで、平常心を取り戻す、目の前の緊張からの開放のためには、

私の最近のルーチンは、

ギターやピアノで頭に浮かんだメロディーを追跡すること、また好きな曲のメロディーを演奏すること。これで緊張感が解けて心がリラックスします。

現実に立ち向かう勇気も湧いてきます。

心が安らぐこと、それには音楽の処方箋が少しは役に立つのでは?といつもそこに行き着いてしまうのです。

それでは、ここで音楽の話です。

さて、久しぶりに聞いた楽曲は、長いこと部屋の隅に忘れ去られたCDから、

アンチェインド.メロディー「ライチャス.ブラザーズ」
#切々と歌い上げます。

悲しき雨音「カスケーズ」#ゴロゴロ!、ピカッ?!の効果音~鉄琴?シロホンのイントロから入るのが、何とも言えませんね。

オー!プリティーウーマン「ロイ.オービソン」#ギターのクリアな低音が痺れます。

この世の果てまで
「スキーター.デイビス
#ハスキーな女性ヴォーカルが魅力的で、美しいメロディーもよし!

青い影「プロコルハルム」
#バッハのG線上のアリアが原曲です、ロックサウンドに上手くまとめてます。男性ヴォーカルもパラードをせつせつと歌い上げます。
ドラムのローリングも恰好よし!

この胸のときめきを「ダスティースプリング.フィールド」
#エルビスもロッカ.バラードのアレンジで歌い上げてます。

砂に書いたラブレター「パット.ブーン」
#ソフトな歌声にうっとり、マッタリ!
などなど

サウンドが、シンプル、エフェクターや特別な加工をしない音源が新鮮に感じた。

せいぜい、残響のリバーブがあるくらいです。

1950年代や、アナログレコードの時代、ラジオから流れる洋楽ポップスは青春の思い出。映画音楽には、私的には音楽的普遍性を感じます。

音像が左、右、中央の三点に単純に分離されたステレオ、非常に単純なハイファイ音響?時代を感じさせるサウンドです。

現代のサウンドは奥ゆきも、広がりも、立体感さえも実現しました、
勿論、音質もエフェクターを使用して様々な加工を施してます、

多重録音も当たり前です。

50~60年前とは別次元のものに進化している。

たまには、古いオールデイズな音楽も、新鮮でいいものです。

50年の歳月はポップスの世界、ラジオから流れた音楽の記憶、自分の年齢、いつの間にか、もうこんな年齢になっていることを、あらためて感じさせる。

京都の思い出は、すでに過去のものになりつつある、清水寺三十三間堂

現実の世界の今は新型コロナウィルスの拡散防止が重要な課題となってますが、

なかなか思うように抑え込むことが出来ないのです。

ワクチン、治療薬の開発は重要な案件、課題ですね。

そして、私たちには慎重な行動が求められています。

スーパーマーケットにも食品が瞬く間に、売り切れる、異常な状況。鳥肉、牛肉、豚肉
etc,

マスクも手に入りません。ほとんど諦めてまして、自分で作るしかないようです。

せめて、心静かに日々を送り、音楽でも聞いて、時を待つしかないと、胸中はそう心を固める。

ひたすら家族の健康と安全を願う。
月曜日、早朝の
ふれっとれすおやじ

ビリー・ジョエル1976

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Live at the BOTTOM LINE , NY , June 10th 1976
での、ライブ音源

ビリー・ジョエルが26才頃の若々しいヴォーカルが聞けるのです。

このライブ音源はイタリア、ミラノの出版になってます、レコーディング.クオリティーの音質からし海賊版だと思います。

一応、CDの音源はステレオで、価格と内容の充実からして、お買得品でした。

かなりくつろいだ雰囲気のライブ、MCもたっぷり、そしてリラックスな、しゃべりっぷり、それがより雰囲気の盛り上がりに、貢献している。

何とレイ・チャールズの歌の真似?これが、結構特徴を捉えていて、

オーディエンスに受けてまして、さらに場を和ませています。

とにかく、ピアノがムチャクチャ上手い!歌は勿論のこと。
ヴォーカルもライブとあって少しラフながらも、しっかり歌い上げている。

編成はギター2台、ベース、ドラム、サックス、キーボード、そしてビリー・ジョエルの生ピアノで総勢6~7名のバンドです。

ベースが生々しく響きます、ギターは右チャンネルから、歪んだサウンドを奏でて、ドラムが一番バンドサウンドの中心、遊びも感じるナイスな乗りで、キーボードは左チャンネル、サックスは渋い、枯れたフレーズを挟んできます。

ビリー・ジョエルのヴォーカルに同調して、バンドのサウンドはうねり、グルーヴを作り出します。

ビリー・ジョエルがギターの弾き語りで、聞かせる曲もあって、音楽性の幅も広くて聞き応えがある内容になってます。

部屋の隅から、偶然見つけ出した30年前に聞き込んだビリー・ジョエルの音源、

当時の自分の家族、新潟への帰省時、カーステレオで聞きながら長距離ドライブした思い出、子供はまだ幼くて、妻も若かったこと、
勿論私も、まだ40才手前の、親としての自覚が、ようやく身に付いて来た頃。

ビリー・ジョエル1976ライブ音源を久しぶりに聞いて、感じたこと。
音楽は、時間を一瞬でBack to the Future?
時空の行ったり、来たり、を可能にする魔法の薬。

30年の時間を一瞬で飛んで、想い出を甦らせてくれます。

雪がやんだ、日曜日の夕刻、雪の舗道、心が黄昏る。

ふれっとれすおやじ

ギターで安らぎ

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京都遠征の疲れがようやく抜けた、雪の日曜日、昼過ぎには雪は上がりました。

日本も世界も、新型コロナウィルスの拡散で、国民の健康も、経済状況、そして非正規雇用フリーランスの生活維持、生活費が重大な課題となってます。
個人事業主、中小企業も、それ以外の会社に勤めるひとも。

2020オリンピックも来年の夏までの、約1年の延期が決定しました。
京都での所用のせいか、疲れがなかなか抜けず、ようやく気分が通常の状態に戻りました。

寄る年波には勝てませんね。

帰りの、新幹線の環境、乗車率が高くて不安は残りました。
勿論マスクはしっかりしてました。


老朽化したガットギターで軽くウォーミングアップ、弾くのは「パプリカ」、次にスチール弦のフォークギターで指と心の思うままにメロディーをつま弾きます。

「パプリカ」から入って、次は思いつくままの、オリジナルのメロディーが浮かんできてしばらく弾きこんでました。

久しぶりのギターですが、メロディーが自然につながっていきました。頭が軽くなって心が開放されていきます。

心がだんだん、くつろいでリラックスしてきました。小学生のころ、ミステリアスな気分にさせられた「マドンナの宝石」という、
ポピュラークラシックのメロディーが浮かんできて、しばらくの時間ひたすらメロディーをギターの爪弾きで追いました。

Youtubeでも、朝比奈隆の指揮のVersionを呼び出し、ギターで合奏です。

緻密に組み立てられた、楽曲の素晴らしさ!まさに「マドンナの宝石」、美しいメロディーです。

出口が見えない、コロナウィルスの拡散、毎日の生活、自分に課せられた仕事の責任などなど。

ピアノは、今日は触れてませんが、ギターの素朴なサウンドに心に安らぎを、ひととき感じたのでした。

健康体操で、NHKくねくね体操も、鈍った体をリフレッシュ!

ふれっとれすおやじ

京都、三十三間堂、追記、

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ラストは三十三間堂

ホテルから10分ほど歩いて、京阪電車の駅まで、

そこから一駅で下車、徒歩でスマホのナビゲーションを頼りに追跡。

家屋や店が並ぶ、狭い道を通り抜けて、しばらく行くと、

広大で、長く続く塀が、目に飛び込んで来ました。
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いよいよ、三十三間堂が間近に迫ってます。
朱色に塗られた門柱が輝いて見えました。

そして、いよいよ正門をくぐり抜け三十三間堂の建物が迎えてくれました。

順路に沿って進み、いよいよ待望のご対面です。

薄暗い展示室内に、鈍く光沢を放つ、立像がずらりと整列して出迎えてくれます。
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「パンフレットの引用」
最前列には、恐い形相の神様が立ちはだかり、何かを守っているのでしょう、凄い眼光を放ってます。身長は165㎝くらい。
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「パンフレットの引用」
金色の仏像は斜めに整列して、1列当たり10体が、立像の姿勢で並んでます。身長は170㎝くらいに見えます、私たちを高い位置から見下ろしているので、背が大きく見えるのです。思わず見とれてしまう、静かな表情をしてました。

私は線香を一本買って、火を付けて、炎を消してお供えしました、

中央の仏像の前では、祈祷の読教が荘厳に、執り行われています。

そして、私も祈願しました、コロナウィルス感染の収束、そして家族の健康を。

中央に鎮座する、ひときわ大きな仏像の左右に、500体ずつの仏像、

合計1001体があり、その光景は見るものを圧倒します。

風神、雷神像はその数に入るかどうかは分かりません。しかし、存在感はしっかりありました。

仏像の1体目から、1001体目のスペースを観賞し終わるまでには、心は圧倒されて、自分の心の何かが入れ替わるような感覚を感じました。

心のなかでは「凄いものを見ているのだ」と驚きの気持ち、さらに感動、そして畏怖の念を覚えます。

この仏像を製作したのは、鎌倉時代の彫刻家、運慶、息子の湛慶ら、凄腕の掘り師たちです。

その後ろには、幕府の後ろ楯、サポートもあったと思います。

仏像は寄木の木製で、表面は漆が塗ってあるのです。その上に金の装飾!しかし、所々剥がれて下地の黒い地肌が見えてます。

1体1体、表情が違っているのは、人間的な心を感じさせます。

仏像展示の裏側の資料展示も、全部観賞が終わる頃には、体はしっかり冷えきってしまいました。

しかし、今回の三十三間堂の千体の仏像に会えたことは、心のなかに充足感を与えてくれました。

ふれっとれすおやじ

帰宅後に、少し修正や追加をしました。やはり、所用と仏像観賞の疲れが出てます。