懐かしの洋楽ポッブス
仕事休みの日、寝床に入って、懐かしのCDを聞いていると、心に懐しさが甦る。
しかし、人生思えば遠くに来たものだ!と、時間の流れを感じます。
妻も私も、共有した時間軸。
テレビは新型コロナウィルス、いよいよ首都圏での感染拡散になり、そして外出自粛、イベント自粛。
感染から発症の時間差の関係で、日を追うごとに発症の人数は増加していく。
コロナウィルス問題の見通し、先は、まだまだ見えず、終息までには時間が、相当な期間を必要とする状況となっている。
まさか、今日まで世界が、こんな事態になるとは、誰が予想出来たでしょうか。
冷静さも、平常心も、それを持ち続けることは、難しいことですね。
人間が本来持つ忍耐力に、掛かっているのでしょうか。
問題が、世界規模であり、そして日本の若者も、やっと危機感を察知し始めたようです。
自分の心の状態を努めて、穏やかに保つこと、そして慎重な行動をとること、心静かに日々を過ごすこと。
自分の信じる神に祈ることも忘れてはいけません。
さて、話が少し音楽のことになります。
私の場合は、ギターに触れて好きなメロディーをつま弾くと、心が開放されて楽になります。
しかし現実の緊張、緊迫感と感染の恐怖心に対しては、人間は長時間さらされると神経が持ちません。
そこで、平常心を取り戻す、目の前の緊張からの開放のためには、
私の最近のルーチンは、
ギターやピアノで頭に浮かんだメロディーを追跡すること、また好きな曲のメロディーを演奏すること。これで緊張感が解けて心がリラックスします。
現実に立ち向かう勇気も湧いてきます。
心が安らぐこと、それには音楽の処方箋が少しは役に立つのでは?といつもそこに行き着いてしまうのです。
それでは、ここで音楽の話です。
さて、久しぶりに聞いた楽曲は、長いこと部屋の隅に忘れ去られたCDから、
アンチェインド.メロディー「ライチャス.ブラザーズ」
#切々と歌い上げます。
悲しき雨音「カスケーズ」#ゴロゴロ!、ピカッ?!の効果音~鉄琴?シロホンのイントロから入るのが、何とも言えませんね。
オー!プリティーウーマン「ロイ.オービソン」#ギターのクリアな低音が痺れます。
この世の果てまで
「スキーター.デイビス」
#ハスキーな女性ヴォーカルが魅力的で、美しいメロディーもよし!
青い影「プロコルハルム」
#バッハのG線上のアリアが原曲です、ロックサウンドに上手くまとめてます。男性ヴォーカルもパラードをせつせつと歌い上げます。
ドラムのローリングも恰好よし!
この胸のときめきを「ダスティースプリング.フィールド」
#エルビスもロッカ.バラードのアレンジで歌い上げてます。
砂に書いたラブレター「パット.ブーン」
#ソフトな歌声にうっとり、マッタリ!
などなど
サウンドが、シンプル、エフェクターや特別な加工をしない音源が新鮮に感じた。
せいぜい、残響のリバーブがあるくらいです。
1950年代や、アナログレコードの時代、ラジオから流れる洋楽ポップスは青春の思い出。映画音楽には、私的には音楽的普遍性を感じます。
音像が左、右、中央の三点に単純に分離されたステレオ、非常に単純なハイファイ音響?時代を感じさせるサウンドです。
現代のサウンドは奥ゆきも、広がりも、立体感さえも実現しました、
勿論、音質もエフェクターを使用して様々な加工を施してます、
多重録音も当たり前です。
50~60年前とは別次元のものに進化している。
たまには、古いオールデイズな音楽も、新鮮でいいものです。
50年の歳月はポップスの世界、ラジオから流れた音楽の記憶、自分の年齢、いつの間にか、もうこんな年齢になっていることを、あらためて感じさせる。
京都の思い出は、すでに過去のものになりつつある、清水寺、三十三間堂、
現実の世界の今は新型コロナウィルスの拡散防止が重要な課題となってますが、
なかなか思うように抑え込むことが出来ないのです。
ワクチン、治療薬の開発は重要な案件、課題ですね。
そして、私たちには慎重な行動が求められています。
スーパーマーケットにも食品が瞬く間に、売り切れる、異常な状況。鳥肉、牛肉、豚肉
etc,
マスクも手に入りません。ほとんど諦めてまして、自分で作るしかないようです。
せめて、心静かに日々を送り、音楽でも聞いて、時を待つしかないと、胸中はそう心を固める。
ひたすら家族の健康と安全を願う。
月曜日、早朝の
ふれっとれすおやじ