ベーシストの「私とオルガン」
娘が4から6歳、 私が37から39歳の時に「探検ごっこ」 という自作曲が生まれた。
娘は3歳からピアノを習い、家では誰でもピアノが弾けるようになっていた。
このピアノは新品ではなく、隣に住んでいたSさんから譲ってもらったものだ。
真空管式のアンプが内蔵されたかなり古い電気ピアノだった。
フェンダーRhodesの様なサウンドが出て、鍵盤タッチは、生ピアノに比べて軽かった。
私にも無理なく弾けた。
ただ、スイッチを入れても真空管が温まるまでは音が出なかった。
毎日アパートの階段をかけ降りて、元気に近所の幼稚園に通う娘の姿をイメージして、ピアノの前にすわり数分で出来た曲でした。
ほんとうに、自然に天から降りてきたみたいだった。
「探検ごっこ」 作詞、作曲takeru1226。
友達が呼ぶ声、いそいでしたくして。
階段をかけ降り、かよったこの道。
あの橋を渡れば、もうすぐそこだよ。
やさしい先生、迎えてくれる。
(さび )今日も一緒に、元気に遊ぼう!
「探検ごっこ」 虫めがね持って。
秘密の場所が、どこにあるのか?
(2小節は、かき混ぜリズムで! )
勇気を出して、探しにいこう!
□とても短い曲で、生活風景。
◆妻に言わせると、この曲はあまりよく覚えていないそうである。
やはり、毎日生活と家事に追われて、父親のようにロマンチックに日常をとらえるにはいかず、お互いの置かれた立場の違いを感じる。
私が中学生の頃だったか、神奈川県、P市のある小さな町、村と言ってもよいのか?
1番上の姉の家に一人でよく遊びに行った。
私の自宅は東京S区の町でバスで成城学園まで出て、小田急線でP駅まで。
そこからまたバスで20分くらい。バス停から7 、8分歩くと姉の家族が住む社宅に着く。
自宅から約1時間 20分くらい。
私は7人兄弟の下から2番目、
1番上の姉とは歳が18歳ほど離れてます。
きっと母親を慕うように、心の中は感じていたのだと思います。
姉との挨拶、家族との挨拶もほどほどに
私は子供部屋を目指す。
(姉の家族は子供が2人、上が女の子、下が2歳離れて男の子)
そこには、私の大好きなオルガンがあったのです。
ペダルで踏むタイプか、電気式か忘れましたが多分電気式のだったと思います。。
左手で和音、右手でメロディ、演奏は難しそうですが取り組みました。
左手で和音、根音ド、第3音ミ、第5音ソ、3本指でコードを鳴らす。
小指、中指、親指でソ、ド、ミを弾く。
コードネームは C 。
何でドミソでないかというと、
C、F、G7
のコードチェンジをする時、動きが最小で都合がよかったから。
ラ、ド、ファ。
コードネームはF。
ソ、シ、レ、ファ。
コードネームはG7。
ギターを弾いていたから、和音の構成音は経験的に理解していた。
膝でリズムを取りながら、「ブルーシャトー」や「朝日のあたる家」などを、1人オルガンでたどたどしく弾いていた。
食事以外はオルガン漬、かかりっきりだった。
姉は特に文句も言わず、叱ることもなくやらせてくれた。
そして、夕方になると私はバス停まで姉とその子供達と一緒に歩き、見送られ自分の家に帰った。
思春期の私の思い出でした。
いま思い返すと、ちょっと? どころか、かなり変わった子供だったと思います。
では、この辺で。
次回はベーシストの「労働歌」
を予定してます。