ELVISエルビスの伝説本と大地震3
4 月14日と 4月16日に立て続けに発生した、九州の熊本と大分につながる大地震。
東日本大震災、広島市土砂崩れ、常総地方水害、そして、九州熊本大地震、ここ5、 6年で
自然大災害が頻発している。
それらの災害は住民の安定した生活を壊し、その人の人生も狂わせ、特に老人の方々が多い地方では避難所生活で体に無理がかかり寿命を縮めることにもつながってしまう。
日本は地質学上では、土壌が脆い性質の国土が多い国といわれる。
火山列島でもあります。
今回の地震の規模は想像を超えるもので、山あいの土地の景観を一変させてしまうエネルギーを放出し、さらにこの先どの位続くのか予測不能な状況となっている。
実際に被害に会われた方がたの苦労は、いかほどのものか計り知れないが、私自身はネットのニュースを見たり、テレビの報道番組を見て「大変な事になったな!」 と心の中で繰り返すのみである。
明け方、四時くらいに目が覚めて寝床の脇に置いたエルビスの「世界を変えた男」をスタンドの照明を点けて読み始めた。
災害のニュースは辛い気持ちにさせる、少し気分を変えてみたかった。
九州の被災地の方には申し訳ないです。
いつか関東地方に大震災が発生したら、私も被災者になるのだろう。
過去にさかのぼり1923年に関東大震災が発生。今から93年前のことです。
私の母親はすでに他界してますが、母親は幼い頃に関東大震災 の怖かった経験を子供の私に話して聞かせてくれました。
とにかく立っていることが出来ないくらいの揺れがあったそうです。
発生時刻が昼だったこともあり、火災が発生し、それがさらに被害を拡大していったという話でした。
地震災害のニュースで心が塞ぎがちになりますが、あえてエルビスの話しに気持ちを戻してみます。
「ハートブレーク・ホテル」のところから全然進んでないので、そこからのエピソードを書いていきます。
「ハートブレークホテル」 の歌詞は作詞者のトミー・ハーデンがマイアミヘラルド紙で読んだ記事、ある自殺者の遺書の出だしの
「ぼくはロンリー・ストリートを歩いている」という文句に触発されて一気に詩を書き上げた。
それにメロディをつけたメイ・アクストンは、その曲をグレン・リーヴスに歌ってもらい、1955年秋には目立たないながらも小ヒットとなった。
エルビスのRCAでの録音第一弾が「ハートブレーク・ホテル」であった。
( 「ザット オーライト・ママ」はサンレコードからの発売であった。 )
1度聞いただけで、その曲は人の心に染み込んで、決して消えることはなかった。
(ここまで「エルビス世界を変えた男」からの1部を転載)
録音作業のスタッフで私が驚いたのは、ギター演奏にあの有名なチェット・アトキンスが参加していたこと。
エルビスの大きな特徴は、エコーのかかった歌声。
それを実現するためにスタジオの中にある2階の調整室へと続く鉄の螺旋階段の途中に立って歌った。
エルビスは歌いながら身体を動かしマイクの志向性の範囲から外れるため複数のマイクを使用して録音 マネージャーの
トム・パーカーは「ハートブレーク・ホテル」のでき上がりを聞きエルビスの才能を再認識し、
この先終生、エルビスをプロモートしていくことを誓った。
「ハートブレーク・ホテル」はビルボードのトップ100の68位にランクされ、
同時にレコード店でのカントリーのベストセラー・レコードの9位に そして、順調にヒットチャートを駆け登り、
やがてビルボードのトップ100では7週連続の1位を記録し、
年間シングル・チャートでも1位、カントリー&ウェスタンの分野でも7週
連続の1位に輝いていた。
ポピュラー音楽とカントリーのジャンルのほかにもリズム&ブルースのチャートでも上位に食い込み、
あらゆるジャンルでエルビスの歌は大ヒットになった。(順位などは「エルビス世界を変えた男」を参照してます )
長くなりましたので、今回はこの辺で。
◆九州の被災された方がたに、水、食料など早く届けられることを願っております。
土砂崩れも心配です。