ベーシストのレコーディング5
今夜は東京、神奈川も雪かみぞれが降りそうな2月6日午後、久しぶりのブログ入力です。
前回記事で「時空移動」が頻繁に登場しましたが、これの理由は?
書いている(入力事)うちにリハーサルと本番レコーディングがゴッチャになり、苦肉の策で利用いたしました。
SF小説(アイザック・アシモフ)ファンでもある私がそのストーリーの中で登場するシーンにヒントをもらい活用しました。
「ファウンデーションと地球」 など全巻文庫本で揃えました。
まあ、正直、再入力はしんどいです!
◆どうかお許しください。
さて、本番レコーディングの録音スタジオはかなり大きく広い場所でした。
学校の教室よりひとまわり広い、相当広い!
出入口は2重扉で外部の音の侵入を防ぐ。
録音スタジオにはミキシングルームが
あり、それらは透明なガラス板で仕切られ遮音されている。
ミキシングルームには24チャンネルの制御卓(コンソール)がデン!とかまえている。
そしてJBLのモニタースピーカーも前面左右に!。
(ミックスダウンの時初めてその音を聞きましたが、縦と横が80cm位の巨大な物、ステレオなんて超越した凄い音でした。)
相互にコミュニケーションをとるために、天井近くにスピーカーそして録音ルームのどこかにマイクがセッティングされている。
ミキシングルームにはエンジニアの前にマイクがきちんとセットされている。
これはミキシングルーム側からの指示を録音ルームに伝える為の、また録音ルームからの返事も伝わるようにする為。
使用料は1時間でいくらくらい掛かっているのか?ため息が出るくらいに金がかかっているのか?
さて、いよいよ私はベースアンプの前に行きそのアンプ本体をじっくり眺めます。
フェンダーのベースアンプ、アンプヘッドとスピーカーボックスが上、下でセパレートのタイプ。
色は渋いブラック。
power ONを示すパイロットランプが赤く点灯している。
使用スピーカーサイズと本数は不明 、パワーは100w くらいか。
真空管のチューブアンプ。
とにかくデカかった!
立派なお姿でありました。
私にとっては夢のようです。!
スピーカーだけで高さが1メートルくらい。
その上にアンプヘッド。
椅子がないのでパイプ椅子を
1つ用意してもらう、それとヘッドホン、譜面台も。
アンプの前には、レコーディングのためのマイクロフォンがスタンドにセットされている。
多分、コンデンサー型マイクだろう。
いよいよ、俺のベース演奏が録音だ!
責任、重大だな!
ベース歴2年のこの私には、ワクワク!、ドキドキ!しかしこの私は本番には強いのであります。
私はソフトケースからジャズベースを出して準備に掛かる。
その頃、36年前チューニングマシン(ハーモニカぐらいの大きさの調弦用ツール、今は単にチューナーと呼ぶ。
器内に記憶された周波数と、各弦の音程を比較し一致したらゼロ表示またはLED点灯でわかる。)
チューナーはまだ一般的でなくギター用の音叉(440HZ)を持っていき、それで3弦Aのハーモニックスを5フレットで弾き合わせた。
ベース弦は2 、3日前にダダリオのものに交換しておいた。ロトサウンドより演奏時のタッチが柔らかく感じた。
前にも書きましたが、ベースとドラムは一心同体の関係です。
しかし実際の位置関係は4 ~5メートルは離された位置関係であった。
◆意外とはなれている、でもしっかり呼吸を合わせて臨まないと!
ドラムの周囲には遮音板の設置が必要です。
これは録音時ドラムの音がデカいので、音圧や音量による他の楽器のマイクに入るのを防止する目的で使用される。
オフィスでよく使われるパーティションみたいなもので、多分上側は透明ガラスだったように思いますが?定かではありません。
それが背面を除いた 「コの字形」 に配置された。
しかし演奏中、ドラムの K さんとベースの私は目と目で合図し合う必要があり、遮音板の置く位置を少し調整してもらった。
ベースアンプのセッティングもなんとか完了し、さあ!「□□□・ブルース」の本番レコーディング直前のリハーサルが始まります。
この曲はフィンガー・ピッキング(中指、人差し指)で演奏。
もう1曲の「□□□・b to c」はピックを使って演奏した。
私の実力ではベースフレーズの構成上、音数が多い「□□□・b to c」 は指弾きでは難しいからだ。
OBさんがヘッドホンをかぶり、スタンドにセットされたマイクロフォンの前に立ち、さあ! いよいよ、本番前リハーサルのスタート!
Pさんのギターのイントロが鳴り、すぐにナレーションのJJさんの語りが始まった。
(このJJさんはOBさんが海外の□□□街で知り合った友人)
「こんな日本は、いやだよ。
何処か行きたいな。」
「霧の都□□□か、いいだろうなー!」
(この詩はOBさんの著作からの引用です。 )
1970年代に青春時代を生きる若者が日本に失望していく心情。
実際のレコードには羽田空港から飛び立つ旅客機のエンジン音が、左チャンネルから右チャンネルにフェードアウトされるようにミキシングされていた。
心憎い演出である。
誰のアイデアか? なにせプロデューサーが7人もいるのだから。
一応最後まで通しで演奏した。9分くらいはかかっている。
かなり長い!
私が一番重要と感じたのはナレーションが途中に入り、その終わり際をドラムとベースが察知し、目と目を合わせて合図し合って、曲の入口まで持っていく部分だった。
気持ちを集中して対応した。
スタジオワークで1番勉強になったのはここの所!
生身の人間同志が音楽を作る作業というのは、心と心を通わせないと成功させることが出来ない!
という事だった。
さあ、リハーサルも終わりレコーディング本番です。
Take 1 の演奏で成功したのか記憶がハッキリしませんが多分 Take 2 で上手くいったと思います。
日本人が海外の国で生活し、政治も違うし慣習も違う、言葉も100%通じる訳ではない。
海外の地で仕事して生活して、外から日本という国を客観的に冷静に見つめることができたのではないか。
と私は考えさせられたのです。
歌詞の中に外国での性的なこと、ホモとかゲイとかの言葉が出てきます。
今は海外では同性同士の結婚もよく聞きますが、1970年代の当時は、蔑視されていたこともよく分かります。
次回は、□□□・ブルースに
「We are the world」
ばりのバックコーラスをダビング録音する雰囲気をお伝えします。
あと、「□□□・b to c 」
の裏話なども。
では、また次回に。