京都の夜、近鉄電車と京阪電車
朝の5時40分に車で出発、神奈川県の天気は快晴、車中から富士山の雄大な姿に感動しました。
京都に向かう長い道中、3回ほど休憩、愛知県、岡崎のパーキングでは雨が降って気温も下がってきました。
高速での走行時、横風が強く、車が左右に揺さぶられ、ドライバーの負担になり大変危険でもありました。
3連休の初日とあって、交通量は増えたりしましたが、流れはスムーズでした。
およそ456㎞ある京都までの道のり、二人のドライバーにより交代で運転、昼過ぎには何とか、京都市内に到着しました。
京都の市街地を歩いたら、やはりマスクをしている人が目立ちました。
私は自作のガーゼマスクを着用。
3連休なので、京都市内の人の出はありました。
私の服装はワイシャツ、綿セーター、春物のジャンパーでしたが、陽射しが暑くて、体がオーバーヒート気味です。
所用は、夕方から4時から夜の7時半くらいで終わり、宿泊するホテルに戻りました。
明日は京都の神社、仏閣、名所を幾つか巡る予定です。
金曜日夜の、ふれっとれすおやじ
土曜日、早朝に更新
パプリカの裏でやはりコロナ!
明日、金曜日は京都に車で向かうことになる、
その前日、木曜日いよいよ私の住むまちにもコロナウィルス感染者の発生が報道されました。
いつかは、来るものだと予想はしていましたが、いざそうなると、やはり心配です。
町と言っても、区の内部での発生と言うことで、住民の住む範囲は結構広くて、今すぐにどうこうではありませんが、注意するには越したことはありません。
木曜日19日の夜には NHKで、コロナウィルス関係についての公式な会見があり、緊張感をもってテレビ画面に見いってました。
感染、報道、注意喚起、心配、そして私の音楽の処方箋、と脈々と繋がっていきますが。
京都から帰ってきてからは、どうなっているのでしょうか、我が町、そして区の状況は。
やはり、住民は不要な外出は控えて、気をつけることでしょうね。注意を怠らずに、それしかありません。
木曜日、ずっうっと深夜の、
ふれっとれすおやじ
パプリカの偉大さ
米津玄師の作による「パプリカ」
についての私的な評価。
マイナー系、テンション系、コード進行から民族的な旋律をメロディーを醸し出す、
演歌系?、まさかですが、または牧歌的な、童謡のような素朴な旋律を心に響かせる!
最初はギターでなごみ、理屈はピアノで理解する。
歌詞の世界も、幼い頃を思い起こさせる。
パプリカは素晴らしい楽曲です!
木曜日、深夜の、
ふれっとれすおやじ
ガットギターでパプリカ
2020東京オリンピック、主催する側の建前と立場と、参加する選手の側の立場、選手らの安全をどう考えてもらえるのか?、お互いに建前立場と本音の気持ち、
難しいですね。
今日はテレビのワイドショーは敬遠してアニメ番組「NHK、メジャーセカンド」、テーマsongは高橋優、を眺め、ガットギターで「パブリカ」米津玄師versionをYoutubeで聞いて、
メロディーを追ってます。
子供たちのコーラスversionとは、Keyが違ってました。
よくよく、米津玄師の歌のフレーズを聞き込んでみると、演歌のようなこぶしの回しが使われて、古風な、泥臭い、民族的な匂いを感じました。
米津玄師しか作れない音楽世界、詩の世界、心が和みます。
NHKのアニメーションにピッタリな楽曲です。
明日から、所用で京都方面へ出掛けますので、ワクワク、ドキドキしてます。
行きは車で、帰りは新幹線の予定です。マスクは必携ですね。
観光客の少い、いない京都はどんなでしょうか。きっと不思議な感じを味わうのでしょうね。
木曜日、晴れた午後、ふれっとれすおやじ
ギターで平常心
世の中が、コロナウィルス感染のせいで、ぎすぎす、ぴりぴりしてますね。
東京オリンピック開催は微妙、IOCの会議がどんな方針を出すのか気になります。
こんな大変なときに、平常心を保つのは難しいですね。メディアはその関係の話題ばかりを取り上げて、コメンテイターが大体は予想どうりの、意見を述べる。
たまには、納得させられることもありますが。
幸い、我が家の近辺は感染者発生の情報は聞かず、いつも通りの人のにぎわいがあります。
マスクをしている人、若い人も、年を取った人も、たまにはマスクなしの人もいます。
マスクは店には、ほとんど見かけなくなり、妻が手作りで数枚は作り、私も2枚ほど慣れない針仕事をして、何とか作りました。
サイズは、かなり大きく厚みもありますが、ガーゼなので使い心地は悪くありません。
さて、心の平安を取り戻すルーチンとしてギターに心を預ける、
古くなったナイロン弦のチューニングをハーモニックスとオクターブの音程との、同調で合わせる。
今、自分が一番弾きたい旋律をつま弾き、ハーモニー付けたり、コード進行を解析したり。
ナイロン弦のガットギターでソフトな、奥行きのある響きを感じ、低音の豊かさを楽しんだり。
ナイロン弦のパキパキしたサウンドに浸ったり、心がリラックスしていきます。
弾きながら感じること、脳細胞が活性化してくるようです。
無理を承知で、19フレット、20フレットのハイポジションでギリギリの演奏をしたり。
やはり、アコースティックのガットギターは心の内面に語りかけてくれます。
ガットギターでハイポジションの無理な演奏をした反動で、エレキギター、テレキャスを取りに行きます。
今度は、19フレット、20フレットの演奏も、フレットの間隔が狭いですが楽々出来るのです、音程も当たり前ですが、完璧にチューニングされてます。
テレキャスのボディーは木材で作られており、アンプを通さなくても、数十年の年月が木材を枯れさせて、独特の弦の響きを醸し出します。
新しい弦の響きは素晴らしく、透明感があり、それには賞味期限もありますが、たまたま引き出しにfenderの010セットが眠っていたので、テレキャスに張ったところ、楽器との相性は良い感じです。
心の求めるままに、弾き始めると胸の奥底、頭の中に少しずつ、光が射してくるような、そんな気持ちになります。
楽器を触って、演奏している時間だけは、別世界にいるような、瞑想に近い感覚が味わえるのです。
仕事のストレス、生活上の些細なストレス、そして今回のコロナウィルス問題の先行き、
色々な、難問が立ちはだかって、心が疲弊してくるとき、
これらが過ぎ去った後の明るい未来のことを考えて、希望を持ち、今日を明日を生き抜く。
そんなことを考えている
のでした。
月曜日、深夜の、
ふれっとれすおやじ
生ギターの生物的な呼吸
その部屋は通常暗室で、CADの自動作画機が設置され、エアコンで空調、それはフィルムの収縮を極力発生させないために必要でした。湿度は低め、乾燥が原因で起きた楽器のトラブルでした。
その部屋の片隅にある人のガットギターは立て掛けられていました。どこで手にいれてきたのか定かではありませんが、
それから、幾日かしてそのギターはひび割れて、ネックの付け根はボディーと剥離して悲惨な状況でした。
駒「弦の固定をする」、エレキギターでは、ブリッジとも、テールピースともいいますが、
その駒が、剥がれて外れて、とても本来のギターの外観からは想像できない、壊れ方でした。
駒には弦がぐじゃぐじゃなまま、つながってました。
このギターの寿命はもうここまでか?と思わせる程の壊れ方でした。
所有者に、これはもう使い物にならないから要らないですね、と確認して無惨な姿の壊れたギターを引き取ることにしました。
このギターをもとの姿に戻すことは、確証はありませんが、自分なりに何とかやってみようと取り組むことにしました。
ネックの付け根と
ボディーの隙間は1㎜くらいなので、隙間に木工ボンドを垂らし込んで乾燥するのを待ちました。
剥がれてしまった駒は、元の位置に慎重に位置会わせして、木工ボンドで貼りつけました。
ボディー表面の割れ目にも、木工ボンドを垂らし込んで乾燥するのを待ちました。
ボディー裏面のごく細いひび割れ部分には、クリアラッカーをスプレーで吹き付けて、何とか強度を持たせるようにしました。
全ての修理箇所が乾燥してから、弦を張り調弦をしてみました。
木工ボンドの威力は恐るべし!
隙間から、はみ出た木工ボンドは格好悪いですが、通常のギター演奏は出来るようになりました。
バラバラに破壊されたギターが、また命を吹き込まれ、本来の音色を響かせることができたのでした。
このギターとも、手元に置くようになって35年は経つのでしょうか。
隙間に木工ボンドを、再度流し込む作業は7~8年前に実施しました。
娘が幼いときに、このギターを気に入って、シールを貼ったりしましたが、ギターは今も元気に私の期待に応えてくれます。
土曜日、深夜の、ふれっとれすおやじ